5月から立て続けに台北、香港、マカオ、ニューヨークをうろうろしているわけですが、最後にウラジオストクへ行ってきました!
というか、、ウラジオストクだけは去年から決まっていて、それ以外が航空券が激安だったり急に誘われたりで付け足しだったのですが、、
ロシアに今回初めて行ってきました。
でも実は25年ほど前にソ連が崩壊する1年前にモスクワに行ったことがあります。
その時はあちこちにKGBの見張り台があったり、赤の広場で座っていたら怒られたり(笑)色々と散々な目にあって大変な記憶しかありません。
最近のロシアはどんな感じなんだろう、、と思ったら意外や意外。
みなさん親切でした(笑)
街並みはどことなくヨーロッパの雰囲気漂う場所でしたしご飯も美味しい。
昔は外国人には解放されていなかった港町ですから海産物がとっても美味しかったです。
日本から2時間程で行けるリトルヨーロッパといった風情の場所でした。
で、ふと30年前のモスクワ滞在の記憶も蘇ってきたので振り返ってみました。
旅行期間 2019/7月
エリア ロシア(ウラジオストク)
テーマ 街歩き、食べ歩き
目次
・Vol.1 ソビエト連邦時代のモスクワは大変だった
・Vol.2 旅の準備 e-Visa申請は結構手こずった。写真を貼り付けるのが一苦労
・Vol.3 新しくなった成田空港JAL ファーストクラスラウンジへ行ってみた
・Vol.4 S7航空(シベリア航空) S7 6282 成田 – ウラジオストク エコノミークラス搭乗記
・Vol.5 ウラジオストク空港からウラジオストク市内へは電車が便利〜空港から市内への電車の乗り方〜
・Vol.6 階段は怖いけど、町歩きに便利で激安、高コスパなお勧めホステル”Vladstar inn (VladStar Inn Hostel)”
・Vol.7 JALもANAもウラジオストクを目指す!これからロシアも旅行しやすくなるか?
・Vol.8 ヨーロッパの風情が漂うウラジオストクを歩いて観光してみた。ショッピングモール”Clover House”は寂しかった
・Vol.9 ロシア料理「ペリメニ」は見た目は水餃子だけどバラエティー豊かでとっても旨い!ロシアってボルシチとピロシキだけじゃないんだ(笑)
・Vol.10 ウラジオストクの週末限定市場が面白かった!野菜からロシア版ファストフードまでなんでもあるぞ!
・Vol.11 グム百貨店の裏手の路地がインスタ映えするフォトジェニックスポットになっていた
・Vol.12 ロシア版遊園地で遊んで海沿いの洒落たレストランで海鮮料理を食べてみた
・Vol.13 100年を超える歴史あるウラジオストック駅舎は必見〜シベリア鉄道東の起点の標識とSLを間近で見るにはガイドが必要〜
・Vol.14 ロシアの猫カフェ・ヴァレリヤニチ(Валерьяныч)に行ってみた!夕食はなぜか本格インド料理屋へ
Vol.15 エアロエクスプレスのビジネスクラスでウラジオストク空港まで行ってみた
Vol.16 ウラジオストク空港にはプライオリティパスラウンジがあった! S7航空(シベリア航空) S7 6281 成田 – ウラジオストク エコノミークラス搭乗記
<往路>
S7 6282 NRT (12:55) – VVO(16:55)
<復路>
S7 6281 VVO(13:20) – NRT(14:40)
目次
ソビエト連邦時代のモスクワ旅行の思い出
最近は近場のアジア方面にしか行かなかったのですが、久しぶりに他の地域に行ってみました。
場所はウラジオストク、、ロシアです。
ソ連崩壊前年の1990年にモスクワに行ったことがありました。
当時は学生でした、、ちょうど29年前なんですねぇ、、時の経つのははやいものです。
当時ソビエト連邦へのビザは「インツーリスト」という国営旅行会社を通じてでしか発給されず、ホテルも外国人価格でとても割高でした。
航空券はモスクワ経由のパリ行きのJALのチケットでモスクワで降りた後、モスクワ ー パリ間の航空券はポイポイして鉄道を使ってモスクワからヨーロッパに入ろうかと思っていたのですが、そんなことをモスクワで手配できるわけもなくおとなしくモスクワ ー パリ間もその航空券を使うことになるのでした。
当時のJALチケットはバックパッカーが使うような値段では売られていなかったのですが、まぁ諸事情により手に入ったということで、、ありがたく使わせてもらっていました。
モスクワ・シェレメーチエヴォ空港はどんどん崩壊していっていた
モスクワの国際空港も薄暗く陰気でした。
当時のヨーロッパ便はほとんどがモスクワ経由でしたが、毎年トランジットでモスクワ・シェレメーチエヴォ空港に降り立つと薄暗さが増していった記憶があり、国の顔である国際空港がどんどん劣化している感じがして、ソ連の苦境が手に取るように分かった気がしました。
JAL機で行きましたが、薄汚れた空港ターミナルにアエロフロート機が多数。
空港自体はだだっ広いのですが、飛行機も少なく給油の間ターミナルの中をうろついてもほとんど商店らしいものはなく商売っけが全くありませんでした。
ソ連入国でも係官は賄賂を暗に要求?
ソ連入国のイミグレーションも手続きがものすごーーーく長くて、、あとで思えば袖の下(賄賂)を待っていたんじゃないかと思われるのですが(笑)学生だったこともありそんなことがわかるわけでもなく(笑)15分ほどイミグレのお兄さんとにらめっこして通過させてもらった記憶があります。(もしかしたらパスポートに10ドルぐらい挟んでおけばあっという間に通過させてくれたのかもしれません)
係官はパスポートを渡して何か作業をしているわけでもないのです。
ずーっとこっちを見たりあっちを見たり、、明らかに時間を稼いでいるようにみえました。
空港施設内も泥棒が横行?外国産タバコは人気で賄賂にも使えた
当時はバックパッカーをしていたので、バックパックを預け入れ荷物で預けていたのですが、回転台に出てきたときには入れてあったタバコが消えていたり、、(バックパックは鍵はかかりませんしね)
いやぁまさかバックパックの中が荒らされるとは思いませんでした。
金目のものはほとんど入っていなかったのですが、外国産タバコは人気があるようでした。
タクシーを乗るのも賄賂にタバコ一箱とその下にドルを忍ばせてみたりと結構めちゃくちゃな感じでした。
おそらくクレムリンに向かう道すがらだと思いますが、車がもうポンコツですしそもそも走っている車も多くない。
一般市民が隠れて欲しがる米ドルは違法の時代
一般市民もルーブルをすでに信用していなくて、ドルを欲しがるのですが、あちこちでKGBが見張っていました。
一般市民がドルを持つことは違法だったのでこっそりと見えないように渡さないといけなかったのです。
街中の商店にはデパートを含めて商品が全くなく、食事をするところも皆無。(みんなどこで食事をしているんだろう、、、)
唯一見つけたマクドナルド一号店に入ろうとしたら入口は外国人で長蛇の列(笑)
反面ようやく見つけた外貨ショップにはものがあふれていて、下界とのギャップに驚いた記憶があります。
ちゃんと働いているロシア人を見に行こう!と思ってマクドナルド・モスクワ一号店に向かったのですが、入ろうとするとそこは出口。
入り口はあっち!っと言われてみてみると長蛇の列が、、、
入る気を失いました(笑)
ホットドック屋台の売り子さんもやる気なし
外を歩いているとようやくホットドックの屋台を発見!
しかし!お客さんはずらっと並んでいるにも関わらずお店のお兄ちゃんは全くやる気なし。
二人いて一人がやる気なさげにホットドッグを作っていてももう一人は隣で座ってタバコを吸いながら休憩中。
そんな調子なので並んでもいつ買えるか全くわからない状況で、お客さんもそんな状況がわかっているのかあきらめ顔で待っているようでした。
ホテルも社会主義の悪いところ満載
ホテルはサービスが売りのはずですが、ホテルのレストランでさえまともに食事は提供されません。
ようやく食事ができるかと思ったら全く取り合ってもらえずウエイトレスにはガン無視されましたが、その時点でこちらも腹が座っていたので根比べとばかりにずーっと居座っていたら若いウエイターさんがそっと寄ってきて、ここでも賄賂を要求。
それでもわずか3ドルほどでそれなりのものを食べさせてもらった(美味しくはなかったけど)記憶があります。
しかも、おおっぴらに受け渡しはできないので、皿の下にドル札を置いて立ち去るという小芝居までしなければならず、当時の表向きのドル規制と一般人の間では違法な「ドル」をみんな欲しがっているのを肌で感じた経験でした。
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観光客も逮捕される?スリリングだった町歩き
KGBもまだ健在で変なところを写真に撮ると逮捕される!という話がまことしやかに囁かれていてビビっていました。
赤の広場で座っていたら衛兵さんに怒られたりと(笑)結構大変だったことを覚えています。
だだっ広い石畳の広場です。
赤の広場にいるのは観光客だけ。
まぁそれほど多くはありません。
だだっ広い広場でした。
人だかりができているのはやはりレーニン廟。
レーニンの遺体が安置されているというレーニン廟ですが、ここも入るのに長い列ができていましたのでそこはスキップ。
衛兵さんが交代するセレモニーだけ見て退散です。
これなんだったかなぁ、、確かロマノフ王朝の財宝を集めた博物館じゃなかったかな?
これも入場するのが大変そうだったのでスキップです。
これ自販機なのですが、、水の自販機です(笑)
しかもガラスのコップが置かれていて回し飲み。
街のあちこちにあって安くて良いのですが如何せん衛生面がめちゃくちゃなのでちょっと心配。
デパートに行けば何か食べ物があるのかと思ったのですが、商品が一切なし!
建物時代はロマノフ王朝時代に建てられたためか結構重厚感があって立派なのですが、デパートの意味をなしていません(笑)
これが当時のKGBの本部なのですが、噂ではここの写真を撮っているとどっかに連れて行かれてしまうという話があって、カメラをちょこっとだけ出してささっと遠目に撮影してみました。
ここは当時「ジルジンスキー広場」と呼ばれていて、建物の前にあるのがソ連秘密警察の祖であるジルジンスキーの像です。
まぁ翌年にこの像が倒されてしまうのをテレビでみた記憶があり、ソ連崩壊の象徴的な映像として有名になりましたね。
現代のロシアはどうなった?
ふと昔の写真を引っ張り出して思い出に浸っていましたが(笑)そんなソ連時代しか知らなかったので、今のロシアがどんな感じになっているのかちょっと興味がありました。
何しろ約30年前ですからねぇ、、
ウラジオストクは日本から一番近い港でしたが、当時は外国人が立ち入ることのできない軍港でした。
今ではe-VISAを申請して数日で許可が降りるので気軽に行くことができます。
30年前とは大違いです。
「シベリア鉄道」に憧れてウラジオストクからヨーロッパまでいってみたい!と思っていましたが行けずじまい。
今でもウラジオストクはシベリア鉄道の起点であり終点でもあるので体がまだ動くうちに乗ってみたいですね。。
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