現在タイのチェンマイに来ています。タイには年に数回訪れますが、来るたびにほっとする感覚がして快適に滞在できます。
日本ではあり得ない不可解なことも度々発生しますが、それも仕方がないなぁ〜と許せてしまう雰囲気があるのはタイならではです。
そんな街を歩いていると、裕福ではないにしてもみんな楽しく暮らしている様子が垣間見れて、快適な生活って物の多さではなくて気持ちの問題だとつくづく思いました。
チェンマイに来た目的は年に一回11月の満月の日に行われる仏教のお祭り、イーペン祭りを見に来ることです。このお祭りでは薄い紙でできたランタンを気球と同じ原理で空に飛ばすのですが、このお祭りの別名はコムローイ祭。
たまたま2年前に来たこのお祭りのあまりの美しさに魅了され、それから毎年来るようになりました。このサイトの名称とアドレスはここからアレンジして作ったのです。
物が充実していることが幸せなことではない
以前のタイと比べてここ10年で飛躍的にタイの一般の人の所得も上がり、バンコクではほとんど東京と変わらない物で溢れています。
反面チェンマイは大型デパートはありますが、中心街はまだ昔と変わらない街並みです。しかしセブンイレブンもあるので最低限の日用品は外国人でも困ることはありませんし、市場に行けば安い食品や衣類が手に入ります。
衣食住に関しては日本の社会で暮らしている人から見ると本当に必要最小限だとおもいますが、それでも意外と困らないのです。おまけに街で暮らしている人もどことなく心のゆとりがあります。
日本品質から考えると劣っているかもしれませんが、逆に普通の生活をするのはこれでもいいですし、日本のクオリティーがオーバースペック過ぎてそれに合わせようとすると無理をすることになっているのかもしれません。
タイ社会はお金階級社会
タイが桃源郷のように素敵な場所かというと、そうではないこともわかっています。タイは厳密なお金階級社会ですから、お金の多さではっきりと階級が分かれます。日本では階級という概念はありませんが、タイでは昔からそれは根付いているのです。
ただし、それぞれの階級で生活スタイルは全然違いますが、貧しくてもそれなりの生活ができてしまうことがタイの懐の深さだと思いますし、それを理解した上でみなさん快適な暮らしを送っているように見えます。その懐の深さが「微笑みの国」と言われる所以でしょう。
昭和60年代の日本と同じ?
ふとこんな風景は昭和60年代の高度成長期と同じではないかと感じます。映画の「always 3丁目の夕日」の世界ですね。
当時は貧しかったけれど夢があったし、明日は良くなるという希望もあった。辛かったけど笑顔があった。貧しかったけれど心は決して貧しくなかった。そんな時代だったと思います。
その時代が丸ごと良い時代かというと決してそうではないです。現代の方が物の質も量も圧倒的に満たされていますし、不自由することはありません。
安全面も衛生面も格段に安心できるレベルになってすごく快適な社会を作り上げたのです。ただ、実態のない不安に怯えて心の豊かさがすっぽりと抜け落ちているんです。
今の日本はお金がある人もない人も安全で衛生的な暮らしがすでに社会の中にあります。そのことが一番の幸せだと感じて心の豊かさを取り戻す時代に入ったのではないかと思います。
たまにはタイの田舎町で暮らして気持ちをリセット
過剰なサービス、過剰包装、過剰スペックの物に囲まれた日本の生活の中ではシンプルな生活がどんなものなのかを見失いがちです。たまにはタイの田舎町で如何に日本での生活が過剰なものに囲まれているかを再度見直して気持ちを楽にするのも必要ですね。
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