自分を自由にするお金の話 / 20年前の新宿中央公園で見た光景から学んだこと

社会人になってから数年後のとある早朝の新宿中央公園。

当時の新宿中央公園はブルーシートハウスが立ち並びホームレスの方々がたくさん生活していました。

ふとそれを見た時になんとも言えない不思議な感じがしたのです。

休日の早朝、新宿中央公園をふと眺めていました。

丁度土曜日の夜から夜通しで遊んでいて、帰る前にちょっとカフェでモーニングを食べた帰り際のことでした。

当時の新宿中央公園は多数のホームレスの方が住み着いていてブルーシートハウスがたくさんあってそれはそれはすごい場所でした。

新宿駅やその近辺でもダンボールハウスがたくさんあって日常風景の中に溶け込んでしまっていたので、それほど気にとめることもありませんでした。

自分とブルーシートハウスの違いは?

ふと朝日を浴びながらその場所を通り抜けた時にその光景を目にした時に少し不思議な気持ちになりました。特に何があったわけでもないのですが、普通の生活をしている人とブルーシートハウスで生活している人の人生の何が違っていたのだろうとその時ふと頭をよぎりました。

もしかしたら自分もあっち側にいたかもしれないし、これからも行く可能性があるかも?という漠然とした感じです。

「自分は絶対に向こう側には行くことはない」と思っている反面、もしかしたら何かの神様のイラズラでそうなってしまうかもしれないと目の前の光景を見ながら妙な気持ちになってしまいました。

自分にとって快適とは?

事情があってホームレスになった人もいるでしょうし自ら望んでそうなった人もいるようで、各自考え方は違うとおもいます。その生活が過酷だと感じている人もいるでしょうし、快適で実社会に戻るつもりがないという人もいるようです。

その差は、自分でその生活を望んだかどうかの違いではないかでしょうか。

自分が望んだ通りになっていれば、他人からどう見えようとも快適なのだとおもいます。

逆に、望まない境遇になっていればどんなに裕福そうに見えてもその人にとっては辛く過酷なのだとおもいます。

自分にとって快適とはなんだろうか?と考えてみると漠然と自由に生きるということが重要だと感じていました。

自由と言っても一般社会で生きている以上、義務もありますし簡単なことではありません。

ただ、義務や規則を守りつつ、自分が快適だと思うことを自分で選択して生活できることを自由に生きると勝手に定義しました。

何か選択しなければならない時にそれに基づいて行動していれば、他人から見てどう感じられようとも自分では自由で快適な生活ができるんじゃないかと思っています。

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