映画 / 「怒り」を見て「信頼」の重みを考える

久しぶりに映画館に行って「怒り」を見てきました。すごく見たかったわけでもなく知り合いが既にチケットを買っていて、ただついて行っただけなのでした。(個人的には「シンゴジラ」と「君の名は」を見たかった(笑))

予告編も見たことないしストーリーもどんな映画かすら知らずに見に行ったのですが、日本を代表する豪華キャストに迫真の演技に圧倒されました。最近は日本映画をよく見るのですが、実に奥が深いテーマを取り扱っているものが多いです。

映画の概要

内容については色々な方が紹介されていますので割愛しますので公式HPをリンクしておきます。

テーマが深すぎて怖い

作品自体はミステリーに分類されると思いますが、それはあくまでストーリーをまとめる接着剤のようなもので、根底に流れるテーマは「人はどこまで他人を信頼できるのか」という答えがない難しい問題がテーマです。

見ていて辛くなるシーンの数々

ショッキングなシーンが多いという意味ではなく、自分だったらどうしよう、、でも自分でもきっと判断できないだろうなと思う状況がたくさんあって、ストーリーの中で一つの選択をした人たちのそれぞれの動揺や激しい後悔や怒りが驚くほど圧倒的な演技力で表現されていて「心が辛くなる」感じと言ったらいいでしょうか。

本編は3つのストーリーが同時並行に進んでいきますが、そのどれもが別々のテーマを持っていて最後は全て色々な種類の「怒り」に変わっていく様は素晴らしいと感じます。

人を信じることはここまで難しく、脆いものなのか

この映画では「怒り」という非常に複雑な感情を通じて、極普通の日常生活の中に、人を信じることがものすごく難しく脆いものだということを最大限の絶望的なストーリーにして表現していますが、その反面すごく大切なものだと一筋の希望も入れているところが救いです。

「怒り」を表現するのは難しい

喜怒哀楽とひとくくりに人間の表情を分類しますが、「怒り」ほど難しいものはありません。自分が不利益を被った時の怒りや自分への後悔の怒り、社会の矛盾に対する怒り等様々です。しかも要因が一つでなく複数絡み合うとさらに複雑な怒りになっていきます。

上司が嫌なやつで今日も叱られてムカついたけど、飲んでぱーっと忘れちゃおう!という程度ならまだ健康的な方です。ぱーっと忘れられないほど辛いことが起こってしまった場合、更にそれがもう取り返しがつかない時にはどこに怒りの矛先を向けて良いのか判断できなくなって狂気へと変貌してしまうのです。

世の中で一番怖いのは人間

世の中にはおばけやウイルス、自然災害など怖いことは満ち溢れています。ただし私は一番恐ろしいのは人間だと思っています。人間は論理的に条件反射だけでは生きていません。生物であるということのほかに複雑な「心」を持っているので、良いこともたくさんある反面何をするかわからない不安定な面も数知れずあります。何をするか、何を考えているかわからないのが一番怖いのです。

進化論と同様に適応できた者が生き残る?

結局のところ信じるという行為は非常に難しいのです。しかし、信じるという行為がなければ生きていけませんし社会も成り立たないのです。

他人のことはわからないですし、無条件で信じることはできません。でも信じないと何も始まらないですし、裏切られたらそこでその先のダメージの少ない方法を考えるしかないんです。

社会制度も同様で、いつ何が起こるかわからない世の中です。今の社会が未来永劫続くと錯覚している人も大多数で、その方が良いなぁと思っていると思いますが、今の平和な社会でも底辺で不満を持っている人がたくさんいますし、変えられないことを諦めている人もいます。

そんな色々な感情を「怒り」として表現した作品に拍手を送りたいと思います。

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