シンプル快適ライフ / どこまで我慢すれば良いのか?自分で責任を取れるならば自分の意思を信じて行動すべし

人は常に安定志向ですので、安定を手放す事を極端に嫌います。

その為望まない状況でもその状態に無理をしてでもしがみつくことがよくあります。少しでもおかしいと思ったら「手放す」という選択もあるということは頭の片隅に置いておくといざという時に役に立ちます。

お好きにしてはいかがでしょうか

最近映画「シン・ゴジラ」を見ました。全編にわたり「もうお好きにしたらどうですか」という言葉が散りばめられています。

言葉の意味合いについては同じ言葉でも場面によって意味が異なります。「もう好きにしろ!」という突き放した意味や「今まで言いなりになって来たんだから、そろそろ自由に言いたい事を言ってもいいんじゃないですか」という開き直りなど様々です。

今回は後者について思うところを書いてみます。

我慢することは美徳か?

社会生活をしている以上ある程度我慢は必要です。

自分の想い通りに全てが運ぶのであれば誰も苦労はしませんし、人間関係で悩むこともありません。

その人の立場や状況によって身を引く場面も多々あるでしょう。しかし、我慢ばかりしているのが良いことかと言うとそれも違います。

自己主張をしないと相手もどうしていいかわからないのです。我慢が美徳というのは間違いで、きちんとコミュニケションをしてお互いが納得できるようにすることこそ重要です。

他人の言うままに過ごすのは実は責任転嫁

自分が我慢して相手の言う事を全て聞くことが良いこととは限りません。

結局のところ内心では実は自分の責任を放棄して相手に押し付けたいから我慢していることが多々あるのではないでしょうか。

相手の事を気遣って我慢してもそれは美徳でもなんでもなくて単なる責任転嫁です。

自分の意思を持つことは自分の事に自分責任を持つ事

自己主張をして自分の意見を言うことはその言葉に責任を持つということです。それを理解せず自己主張をするのは単なるわがままですし、なんの解決にもなりません。

自分で責任を持てるのであれば自己主張をして、責任を負えないのであれば我慢するしかないです。

自分の人生は自分に責任がある

自分のことは他人には責任はありませんし、自分が我慢したからと言って誰も喜んではくれません。むしろ誰もあなたの事を気にしている人はいません。

自分の人生は自分に責任があるのです。その上で自分を信じてやりたい事を実行すると楽に生きることができますよ。

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